韓国の南海岸には半島と小島と湾が超複雑に入り組んで続いている。そのリアス式海岸の真っただ中、深い湾の奥に鎮海(ローマ字表記「Jinhae」、韓国語読み「チネ」)の街はある。現在人口約20万。2010年まで単独の市だったが、隣接の市と合併して昌原市鎮海区となっている。

鎮海湾
画角中央奥に鎮海の街
実は、日本による韓国統治が始まる1910年まで、ここに街はなかった。田畑といくつかの集落があるのみだった湾奥の小平野に市街ができる契機となったのは、ここに日本帝国海軍の軍港が築かれたことである。鎮海に置かれたのは要港部といって、海軍の最大級の軍港である鎮守府(横須賀、呉、佐世保、舞鶴)よりも小規模だったが、それでも一つの街を産み出す経済効果があった。

1911年の鎮海市街地図(鎮海博物館の展示から)
軍港は海軍が建設したのは勿論だが、市街も海軍が計画的に整備したものだ。ロータリーから周囲へ伸びる放射路と縦横の直交路を組み合わせた特徴的な街路が計画的に造成された。市街建設地に元々住んでいた韓国人は郊外の韓国人居住区に移住させられた。できあがった市街は日本人町で、日本本土と変わらない町並みと暮らしがあったと思われる。

兜山から望んだ1930年代の市街(鎮海博物館の展示から)
中辻(中央のロータリー)には榎の大木があった。

兜山頂上にあった日本海海戦記念塔
(鎮海博物館の展示から)
1945年の太平洋戦争敗戦で日本による統治は終了、日本人が引き揚げると、当たり前だが街は韓国人のものとなる。軍港は韓国海軍の基地となり、海軍指令部(2007年に釜山に移転)や海軍士官学校も設置されて、鎮海は、大韓民国下でも引き続き軍港都市であり続けている。海軍地区は市街よりも広大で、日本時代と同じく一般人立ち入り禁止。正門に近い北園ロータリー(日本時代は北辻)には、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に日本水軍を破った李舜臣将軍の巨像が建つ。軍港都市にふさわしく、韓国で最初に建てられた同将軍像だという。

海軍地区正門前(帝国海軍時代と同じ場所にある。)

海軍士官学校

海軍官舎の高層アパート群と福利施設「海軍の家」

北園ロータリーの李舜臣将軍像
後方の高層アパート群は海軍官舎
そんな経緯を持つ鎮海の街を訪れたのは8月15日。日本では終戦記念日だが、韓国では「光復節」といって、日本統治からの解放を祝う日である。ナショナリスティックな高揚に包まれているのではと一抹の不安を持っての訪問だったが、拍子抜けするほど街は静か。街路に国旗が飾り立ててある程度で、特別な様子はなかった。



日本時代の家屋がよく残る鎮海の町並み
静かな光復節の午後
街を見下ろす帝皇山という小高い山に登った。日本時代には兜山という名で、頂上に日露戦争の日本海海戦の戦勝記念塔があったという。その記念塔に代わって独立後に建てられた展望塔に登った。ロータリーを中心とする日本時代の街路がそのままの形で残る市街、その向こうに艦艇の停泊する軍港を望むことができた。山の反対側には、かつて韓国人居住区だった地区を含む住宅地が広がっている。

中園ロータリーから望む帝皇山
頂上に展望塔「鎮海塔」と鎮海博物館がある。

鎮海市街
中園ロータリーを中心とする街路は日本時代のまま

慶和洞地区(画角中央奥の市街)
日本時代、韓国人居住区だった。
日本時代には中辻、今は中園という、街のヘソとなっているロータリーに面して建つ郵便局の庁舎は、日本時代のものがそのまま残る。鉄道も日本が敷設したもので、鎮海駅舎が残されている。そして、街を歩けば、そこかしこに日本式家屋が目につく。用途は変わったり、建て増しされたり、塗装されたりしているが、特徴的な屋根の形などで素人目にも日本時代のものと分かる。こうした家屋が連続する一画では、今の日本の下町の風景と同じような感覚を受ける。

郵便局庁舎

鎮海駅舎

海軍地区構内へ続く鉄路





以上、残存する日本式家屋
市街を南北に流れる余佐川。日本時代の都市計画で一直線の流路に整備された川だが、当時、桜の名所であった。独立後、日本の象徴であるとして、桜は全て伐採されたといわれる。その後、名所復活を目指して再び植樹され、川沿いの桜並木は今や鎮海を代表する観光スポットとなっている。その側の日本人が通った鎮海高等女学校があったその場所には鎮海女子高校がある。メインの校舎はカラフルに塗り替えられているが女学校時代のものと思われる。

余佐川沿いの桜並木

鎮海女子高校(旧鎮海高等女学校)

旧日本帝国海軍の官舎跡地に建つ競技場
釜山などの大都市でも残存する日本時代の家屋がみられるが、鎮海では市街地の新陳代謝が比較的緩やかだったと思われる。街全体がそっくりそのまま日本時代の様子をよく残している。横須賀など日本の旧軍港都市よりも帝国海軍時代の風情を感じられるかもしれない。桜のシーズンには日本からの観光先としても注目されつつあるようだが、桜に限らず、我々日本人が訪れてみるべき街のように思う。
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