地理学徒の語り

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橋本・樟葉 - 京都・大阪府境

 淀川左岸の京都・大阪府境界隈を歩いてみた。この辺りは、かつて京と大坂を結ぶ京街道が通り、人の往来が盛んだった所だ。京街道のルートは近代になって京阪国道に継承され、今も交通量が多い。(なお、今の京阪間の主幹線である国道1号線は、京阪国道の増大する交通量に対応するため、こことは別のルートで新たに造られたものだ。)京街道とほぼ同じルートを京阪電鉄本線も通じている。

 散策の出発は、京都府八幡市橋本地区、京阪電鉄橋本駅からだ。駅を出て、北(川側)にすぐの所で、石標を見つけた。私の能力では全てを解読できないが、淀川対岸の山崎(かつて京から山陽方面へ通じた西国街道の宿場)への渡し場を示しているのは少なくとも読み取れた。後で調べたところによると、ずっと古くには、ここ橋本から山崎に橋が架かっていたそうである。橋本の地名の由来でもあろう。しかし、ここは川幅のある淀川。おそらく大水の度に流されたのだろう。いつからか架け直されなくなって、替わりに、渡し船が出るようになったとのこと。

 渡し場としての賑わいによるものだろう。ここには遊郭があった。今も風情のある一角が元遊郭だ。かなり歯抜け状態になっているが、それでも独特の趣のある建物が何軒か並んでいる一角が残っている。宿としてリノベートされているものもある。しかしながら、観光地ではない。一般住宅街と変わらない静けさの中にある。もう十年もしたら、消え去ってしまいそうだ。貴重な歴史地区だから、何とか保存されるべきと思う。八幡市さん、どうにかできないでしょうか。

 橋本の元遊郭の家並みを抜けると、京都・大阪の府境だ。だが、標識は見当たらない。GPSマップと照らし合わせながら府境の位置を探った。堤防の上に国土交通省管理の樋門施設があって、その管理小屋が府境上に建っているようだ。

金川樋門。建物の右側が京都府、左側が大阪府

 他にも府境のポイントを探ってみた。ありふれた住宅街の中を流れる、小川と溝の中間ぐらいの規模の水流がある。GPSマップによれば、この流れが、しばらく府境になっている。(写真①参照)ここにも標識はない。自宅は京都府だけど、近所のコンビニは大阪府というような界隈。往来する車や人は結構あるが、府境を意識することはないだろう。

写真① 水流の右側が大阪府、左側が京都府

 こんな府境もあった。崖の法面が府境になっている所である。崖の上に建つ家は京都府で、その崖下の住宅は大阪府という状況になっている。(写真②参照)お隣さんどうしで府県が違うというのは、府県境付近では当然あることだろうが、崖の上下の家どうしでというのは面白いと思った。もっとも、地元の人はあまり意識ないと思う。府境を越えても全く何も変わらない住宅街が続いているだけだから。

写真② 崖の上に建つ茶色い家は京都府、他の崖下の家々は大阪府

 そうこうして、ひとしきり府境探しをした後、大阪府側に進んだ。枚方市樟葉(くずは)地区である。しばらく行くと、かなり広い緑の芝地が出現した。「樟葉台場跡」との説明書きがある。知ったところでは、幕末期、ここに幕府が、大阪湾から淀川を遡って京都に侵攻しようとする外国船を大砲で迎え撃つための砲台場を設けたとのこと。(実際には、この目的で役立つような事態は起こらず、むしろ、京坂間を往来する反幕府分子を検める関所として機能したらしい。)淀川を挟んだ対岸にも砲台場が造られていたそうで、両岸に大砲が並ぶ光景を想像するに、かなり物々しいものだったろうと思う。

樟葉台場跡。後方の山(男山)の斜面の家々は京都府

台場前面の土塁と堀

 この辺りにこんな物があったとは全く知らなかった。幕末期の砲台場と言えば、東京湾の「お台場」が有名だが、ここはその淀川版だ。河川に向けて設けられた砲台場は希少なのではないか。大阪、京都のベッドタウンである今のこの地域の姿からはとても想像できないが、当時の世相の緊迫感を物語る史跡として、もっと顕彰されてよいと思う。枚方市さん、よろしくお願いいたします。