地理学徒の語り

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城陽(京都府)

 京都の南に城陽(じょうよう)市という街がある。市名の由来は、山城国(城州)の南部(陽の当たる方)にあるからである。京都以外の人には、ほとんど知られていない街だろう。京都でも、これといった特徴のない、ありふれたベッドタウンという印象しか持たれてないように思う。
 何か面白いことはないのか。ネットを探ってみる。「五里五里の里」というのに私は引っかかった。城陽の地は、京都から五里(約20km)、奈良からも五里。両古都の真ん中に位置しているというのである。そう呼ばれたのは、京都と奈良を繋ぐ奈良街道がここを通っていたからである。「五里五里の里」と街道をテーマに街歩きしてみよう。5月のある日、市の北から南へ奈良街道の旧道をたどって歩くことにした。

 歩き始めて早速、歴史的なものに出くわした。久世(くぜ)神社とある。城陽市を含む一帯は、かつて久世郡だった。旧郡名と同じ名称の神社。きっと由緒あるに違いない。と思ったが、境内の説明書きでは、明治期に久世神社と名乗るようなったとのこと。郡名との関わりの歴史は浅かった。しかし、ここには古代には久世寺があったという。この辺りの地名も久世である。郡の発祥と関わりのある地に違いない。

久世神社

 JR城陽駅付近を過ぎて、さらに南に進む。また神社の鳥居に出くわした。水度(みと)神社とある。この名前は、水と関係あるに違いない。水の戸口、つまり地下水の湧き口を意味しているはずだ。鳥居の脇にある玉池という池はきっと湧き水だろう。城陽の一帯は、西側が低地で、東側が丘陵地になっていて、街道沿いがちょうどその境目。丘陵の伏流水が街道付近で湧き出すというのは、理屈にかなう。

水度神社の一ノ鳥居

 街道沿いの一ノ鳥居から社殿までは、かなり距離がある。丘陵地を真っ直ぐに緩やかな登り坂が伸びる。10分ほど歩いて、境域の入り口となる二ノ鳥居にたどり着いた。そこから神社の杜の中を階段を登って、ようやく社殿に到着した。社殿は南向きだ。街道からここまで、東にほぼ真っ直ぐに来て、最後に左に90度、体を向けると、社殿がこちらを向いて建っている。そういえば、久世神社も、距離こそ違え、街道沿いの鳥居と社殿の向きの位置関係は同じだった。最近、神社の向きが気になるようになったが、神社にとって南向きは大事な事なのだとつくづく思う。

水度神社の二ノ鳥居

水度神社

 社殿前の広場で登りは終わりではない。そこから鴻ノ巣(こうのす)山(標高117m)という山に向かって登山遊歩道が伸びている。頂上には展望台があるという。行くしかなかろう。いっぱしの登山になった。20分ほどかかったと思う。息を切らして頂上にたどり着いた。展望台からは西の方に眺望が開けている。一番遠くにかすかに見えるのは、神戸の六甲の山並みだそうだ。そこまで見えるとは思わなかった。

鴻ノ巣山から

 山を降りて街道に戻る。さらに街道を南下した。しばらく行くと、城陽の未来の交通軸に出くわした。建設工事中の新名神高速道路である。旧奈良街道はもちろん、それを継承した国道24号線、さらにはJR、近鉄城陽を南北に通じて、京都・奈良を結んでいる。それに直行して、新しい国土軸・新名神が市を東西に貫くことになる。城陽にはインターチェンジが設けられる予定で、新名神から京都、奈良への玄関口になる。物流の拠点として発展することが期待される。

建設工事中の新名神高速道路

 旧奈良街道を市を縦断して歩いてみたが、旧街道を歩くと、わずかではあるが、所々に街道の面影を感じる景観が残っている。城陽には、高度成長期に宅地化した住宅街のイメージしかなかったから、意外だった。歴史的なものにも出会った。地形も感じた。将来の息吹きも見えた。やはり、街歩き、やってみるものだ。

かつての奈良街道の宿場・長池地区に残る道標