静岡県の浜松市。人口約80万、県庁所在地の静岡市を上回る県最大都市だ。近代以降の日本で、県庁所在地でなくて都市が大きく発達するケースには、何らかの大きな産業が絡んでいる。浜松の場合もこの例外ではない。と言うか、その代表格といえよう。

非県庁所在地で最大の都市は北九州市だ(首都圏、関西圏の衛星都市は除く)。明治期に設立された官営製鉄所が核となって大工業地帯に発展したもので、国策によるところが大きい。これに次ぐ人口規模の浜松は、対照的に、多数の民間の起業から発展したメーカーが集積する産業都市で、日本最大のベンチャー都市と言ってよいだろう。


浜松は、戦国時代に徳川家康が入城して大増築した浜松城の城下町、かつ東海道の宿場町だった。浜松を中心とする遠州(静岡県西部)は「やらまいか」(「やろうじゃないか」の遠州方言)の気風に満ちた風土といわれる。この気概溢れる浜松で、明治以降、後に世界的大企業に成長するメーカーが次々と発祥している。



まず、ヤマハ。楽器メーカーと聞いて、誰もがまず思い浮かぶのがこの名だろう。ピアノを見かけてヤマハ製でない方が稀だ。ピアノのシェアは世界一。小学校で使ったリコーダーはヤマハ製という記憶の人がほとんどのはず。その他各種の楽器全般から音響機器まで手掛け、その性能は海外でも評価が高い。医療器具店の修理工だった山葉虎楠が、1897年にオルガン製造業を創業したのが始まりだった。現在、浜松の街の中心部のほど近く、広大な敷地に、工場、研究施設などと共に本社を構えている。




浜松市は「楽都」と自称する。
そのヤマハが太平洋戦争後に始めた自動二輪車製造部門が1955年に分離独立したのが、ヤマハ発動機。言わずと知れた、自動二輪車国内二位、小型船舶国内首位の大手メーカーだ。現在の浜松市浜名区の工場が原初である。(その後、本社は隣の磐田市に移っている。)


ヤマハの従業員だった河合小市が1927年に独立して創業したのが、河合楽器。国内第二位のピアノメーカー。ヤマハと切磋琢磨して成長した。浜松駅の近くに本社があり、本社前の通りの名は「河合楽器通り」だ。

続いてスズキ。軽自動車国内首位、他に自動二輪車や小型船舶でも有数のメーカー。1909年、大工だった鈴木道雄が、当時、遠州で盛んだった綿織物のための織機メーカーを創業したのが発祥だ。1950年代からは自動二輪車、軽自動車の製造に乗り出し、この部門の世界的メーカーに発展した。浜松市街周辺部の広い敷地に本社や工場が並んでいる。




そして、世界的自動車メーカーのホンダ。その創業者の本田宗一郎は現浜松市天竜区の出身。1948年、浜松で本田技研工業を設立。原付自転車からスタートして、自動二輪車、自動車へと進展、世界に羽ばたいた。本社は早々に東京へ移転したが、工場は今も浜松市内にある。出身地には旧町役場を利用した伝承館がある。


(本田宗一郎ものづくり伝承館展示)

このようにベンチャーが続々と出てきたのは、「やらまいか精神」によるところが大きいといわれるが、学術・技術面でバックボーンとなったのが、1922年設立の浜松高等工業学校、そして後身の静岡大学工学部である。本田宗一郎の他、ホンダやスズキの何人かの歴代社長もここで学んだ。

浜松にはJR東海の浜松工場がある。とてつもなく広い敷地で新幹線車輌の検修などを行っている。前身は、1912年開設の鉄道院浜松工場で、鉄道車輌の製造もしていた。ここで腕を磨いた工員が浜松製造業の技術人材源になったといわれる。


ビッグネームのメーカーをはじめ、製造業の工場が多数集積する浜松。1990年代からこれらの工場で働くブラジルなど外国人労働者が増え、彼らのコミュニティが成立している。今や彼ら無しでは浜松の製造業は成り立たないだろう。

