地理学徒の語り

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淡路島(兵庫県)

    

 本州と四国の間、瀬戸内海に淡路島はある。島と言ってもかなり大きい。東京23区と同じぐらいの広さがある。約12万の人口は、沖縄本島を除く日本の離島では最多である。淡路の名の由来は、阿波(現徳島県)への路(みち)。その名のとおり、いにしえはもとより、今も神戸淡路鳴門自動車道が通過して本州と四国を結ぶ路の島である。

淡路へと明石海峡大橋を渡る

 神戸淡路鳴門自動車道が、まず本州から淡路島へと渡る際に跨ぐのが、幅およそ3km余りの明石海峡である。関西と四国、九州をつなぐ瀬戸内海航路のたくさんの船舶が通過する海上交通の要所だ。そこに架かるのが全長3911m、1998年の開通時から2022年まで世界最長の吊り橋だった明石海峡大橋だ(現在は第2位)。その美しい姿で、近辺のビューポイントは観光スポットになっている。

明石海峡
(対岸は明石市と神戸市)

      

明石海峡大橋のケーブルの実物大模型
(淡路サービスエリア)

 自動車道を進むと、阪神淡路大震災の際に大きくずれ動いた野島断層、イザナギノミコトを祀った淡路国一宮・伊弉諾神社などの付近を通過して、淡路最大の市街、洲本に至る。江戸時代、淡路は、阿波を支配する蜂須賀氏の所領で、蜂須賀氏の家臣の一族が統治した。その拠点が洲本城である。洲本市街を見下ろす山の上にある。今ある天守閣風の建物は、展望台として1928年に造られたもので、このような模擬天守閣として日本最古とのこと。

洲本城趾の模擬天守

洲本城趾(本丸大石段)

洲本城趾(大手門跡)

 幕末維新期に阿波の蜂須賀氏と淡路の家臣家の間に確執が起こった。廃藩置県で、淡路は阿波徳島を県都とする名東県(後の徳島県)の一部となったが、両家の確執が遠因となったらしく、数年で名東県から分離、兵庫県編入され今に至っている。淡路の車のナンバーは「神戸」。

洲本市街(洲本城趾から)

洲本港
(奥の山上の灯りは洲本城趾)

 洲本を発ってさらに進むと、鮮やかな朱の大きな鳥居が自動車道からでも見える。おのころ島神社である。社殿は小さいが、アンバランスに鳥居は巨大だ。なるほど、説明書きには日本最大の鳥居とある。

おのころ島神社

 淡路は古事記の国生み神話の地である。神話では、イザナギノミコトとイザナミノミコトが日本列島を造った際、最初に造ったのが淡路島ということになっている。そして、この国生みの作業を行った場所が「おのころ島」で、おのころ島神社がそこだと神社は主張している。また、この神社の近辺には、国生みの最初に二柱の神がそこに立って海を矛でかき混ぜた「天浮橋」、造られたばかりの日本列島を指す「葦原国」とされる場所があって、碑が建っている。

「天浮橋」の碑

「葦原国」の碑

 おのころ島神社のある辺りが淡路最大の平野で玉ねぎの大産地だ。ここから南西に西淡山地を抜けると、鳴門海峡に至る。淡路と四国を隔てる海峡である。鳴門海峡は幅約1km余りと狭い。潮の満ち引きによって瀬戸内海と太平洋の海面の高さに差が生じ、狭い海峡を潮流が流れ下って渦潮が起こる。「鳴門の渦潮」は言うまでもなく名高い。この海峡に架かるのが大鳴門橋(全長1629m)。明石海峡大橋よりも13年早い1985年に開通した。神戸淡路鳴門自動車道はここを徳島県へと渡り、その先、四国各地に高速道路が続いている。大鳴門橋は将来新幹線を敷設することが可能な形で造られている。

鳴門海峡と淡路特産・玉ねぎのオブジェ
(対岸は四国・徳島県鳴門市)

大鳴門橋

 淡路北端の明石海峡、南西の鳴門海峡に加えて、もう一つ淡路と本土を隔てる海峡がある。南東側の紀淡海峡である。その名のとおり、紀伊和歌山県)と淡路の間の海峡だ。淡路側から、海峡の中にある友ヶ島和歌山市)まで5km弱、対岸の和歌山市本土までだと約11kmある。先の二つの海峡に比べて幅がある。ここには架橋も海底トンネルもない。四国新幹線や自動車道がここを通る構想があるが、紀淡海峡を陸上交通が渡る日は来るのだろうか。横断する交通はないが、この海峡を通過する海上交通は盛んだ。神戸港や大阪港に出入りする大量の大型船舶が行き交う重要航路となっている。

紀淡海峡
(対岸は和歌山県友ヶ島、右奥には和歌山市街が霞む)

紀淡海峡を望む由良地区の「淡路橋立」
日本三景・天橋立のような砂嘴

 この海峡の国家的重要性は近年に始まったことではない。明治初期、近代国家の歩みを始めた帝国日本は、大阪や京都へ侵攻すべく大阪湾に侵入しようとする外国軍船を迎え撃つため、この海峡を望む岬や島にたくさんの砲台を築いて大砲を据え付けた。その後、陸軍によって次第に強化された大要塞地帯は太平洋戦争終了まで存続した。(結局、それほど役立つ機会は訪れなかった。)淡路側で海峡を望む生石鼻の山上にも遺跡が残るが、草木に埋もれようとしている。

要塞のあった生石鼻

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