4月下旬の時期、滋賀県草津市の志那地区の三つの寺で藤の花が咲き誇っている。三大神社、志那神社、惣社神社。三つの寺はいずれも徒歩圏内。市により藤の神社巡りのキャンペーンが行われている。出店の店番や駐車場係などが地元自治会の人たちというローカル感がまた良い。




さて、滋賀県の草津といえば、この地の江戸時代の街道に触れないわけにはいかない。京の都を出て東海道を江戸へ向かう場合、二つ目の宿場が草津だった。ただ草津は普通の宿場とは違う。この地で、東海道と中山道という江戸・上方間の当時の二大幹線が分岐・合流していた。そのため、宿場町は他よりも一際大きかった。今も本陣などいくつかの建物が残るが、マンションが建つなどして歯抜けになり、大きな宿場だった割には、往時の風情を感じられる部分は比較的少ない。






中央に道標、左手の高架は旧草津川の河道

左から来るのが東海道(江戸方面)、直進は東海道(京都方面)

今、東海道と中山道の分岐・合流点のすぐ側で旧中山道は短いトンネルを潜っている。何を潜っているかといえば、川である。今は、河道が別の所に付け替えられて、廃川(2002年)となって水はないが、以前は本当の川だった。この草津川はじめ、この辺りのいくつかの川は「天井川」といって、周囲の土地よりも河道の方が高くなっている。土砂が堆積して川床が高くなる。氾濫を防ぐため堤防を築く。また土砂が堆積する、さらに堤防を高くする。この過程を繰り返して形成されたものだ。草津の旧宿場町付近では二階建て家屋の屋根よりも河道が高い。もっとも、江戸時代はまだ後の時代よりも河道は低く、渡しで川を渡っていた。

さて、この草津宿を出て東海道を京都方面へ進むと、矢橋(やばせ)道という街道が右手に分岐していた。この分岐点からそのまま真っ直ぐ行けば、東海道は琵琶湖の南端を迂回する形で瀬田の唐橋を渡り、次の大津宿、そして京都に至る。このように琵琶湖を迂回する分の遠回りを避けるため、矢橋道に入って琵琶湖岸に出て、そこの湊から舟で対岸の大津へと渡るバイパスルートがあった。「急がば回れ」という諺の由来となったとされるルートである。

江戸時代、角に名物「姥が餅」の茶店があった。




面前に帰帆島(人工)が造成され対岸の大津は見えない。
大津の背方にある比叡山が見えている。