静岡県と言えば富士山。県庁所在地の静岡の街からももちろん美しい姿を望むことができる。

後方に富士山と日本平(右端)。手前は安倍川






後方左側は日本平。右側は駿河湾
静岡の街は、明治維新以前は駿府と呼ばれる城下町かつ東海道の宿場だった。駿府城は、豊臣秀吉の天下の頃、浜松城から移った家康が築いたものだ。築城後まもなく家康は江戸に移封され、天下取りの後に江戸幕府を開く。時が経って将軍職を息子に譲った後の家康の隠居先は駿府城だった。隠居にあたり、大城郭へと改築している。現在、天守台の遺構の発掘調査が続いているが、推測される天守閣の大きさは従来の想像を超えるものらしい。家康が駿府を隠居の地に選んだ理由はひとつではないだろうが、富士山の眺望は必ずそのひとつだったと思う。なお、最後の将軍・慶喜も駿府に隠居している。







後方一番手前の山が賤機山。麓に浅間神社が見える。
明治維新の際に街は「静岡」に改名したが、その名の由来となった山が賤機山(しずはたやま)である。その賤機山の麓に静岡浅間神社がある。古来から鎮座した神社を、賤機山を巡る戦いで家康が焼き払ってしまい、その後家康自ら再建したものだという。以来、徳川将軍家代々の厚い庇護を受けたそうだ。今は市民の信奉厚い。七五三詣りで賑わっていた。



家康は駿府で亡くなり、現静岡市内の久能山に葬られた。(一年後に日光に移葬)そこには、後の将軍二代により、東照宮が造営されている。久能山及びこれと一体の日本平は、北側は緩やかな斜面で車でも登ることができる。一方、太平洋(国際標準ではフィリピン海)に面する南側は断崖になっている。久能山東照宮の表参道入口は断崖の下にあり、ここから1100段以上のつづら折りの石段が山上まで続く。この石段、3m程の幅があり、石造りの欄干もあって立派なものだ。家康の墓所でなければ、建設困難な断崖に、こんな立派な参道は造られなかっただろう。





