静岡県を通過する旧東海道で最西端、つまり愛知県との県境付近にあるのが、白須賀宿。「すか」というのは、通常、海岸の砂地につけられる地名である。白須賀宿は、当初は現在地ではなく、今は元町と呼ばれる所、海沿いの浜辺に海岸線に平行して東西に宿場町が延びていた。ところが、1707年の大地震による津波で町が流されてしまい、海岸から崖上の台地に町ごと移転して再建された。宿場町の名前は移転前のままだったから、台地の上に砂浜の地名が存在することになった。
この神社も津波被害のため海岸から台地上に移ったと伝わる。
京都から江戸方面に東海道を下って来ると、最初に大海原を目にする場所が、白須賀宿を抜けた所の坂、元宿場のあった海岸へと下る坂になるそうだ。潮見坂という。明治天皇が初の東京行幸の際に京都から東海道を来て、ここで生涯初めて太平洋(国際標準ではフィリピン海)を見たという逸話が伝わる。その記念碑が建っている。
坂を下った先に海が見える。
潮見坂を登ったところから、宿場町を東から西へと歩く。旧街道沿いには、かつての宿場の風情が残る一角が所々にある。曲尺手(かねんて)という街道がクランク状に曲げられた箇所があって、今でも明確にわかる。宿場町や城下町によくあるもので、見通しを悪くする、進軍をしにくくするためのものだ。そこを過ぎて、しばらく行くと、表示板が立つのみだが、本陣跡がある。その辺りが宿場町の中心だった所で、様々な店や宿屋の跡が表示されているが、本陣を含めて、現在その場所に建っている各々の御宅とは直接つながりはないようだ。
火事の延焼防止に植えられたもの
このような旧宿場町が2kmほど続いて、旧街道は西へ町並みを抜ける。町を抜けて少し進むと、静岡県(旧遠江国)と愛知県(旧三河国)の県境に至る。境川という小川が県境になっている。古来から国と国を分けてきた川にしては小さな川だ。幅2mもないだろう。往来の障害には全くならない。遠江と三河は同じ東海道に属し、古来から関係が深い。今も「三遠」と言われる、ひとつの経済圏を形成している間柄だから、境界がこの程度でも納得できる。
左側が静岡県、右側は愛知県