地理学徒の語り

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京北(京都市右京区) - 平成の大合併を考える

 4月の中旬、京都市の北部を占める京北(けいほく)地区に桜を見に出かけた。京都の街の方では見頃を過ぎた所が多くなった中、北の方で標高も高い山間の京北なら、まだ見頃の桜も多いかと思ったからだ。案の定、まだ綺麗な桜をたくさん見ることができた。とりわけ、京都祇園円山公園の有名な枝垂れ桜の子桜だという桜は見事だった。著名な桜守が民家の庭先に移植したという。

 この京北の地は、京都の街との関わりのある物事に事欠かない。昔から関係が深い。しかし、いにしえよりずっと、ここは「京都」ではなかった。京都の街は畿内(言わば古代の首都圏)の山城国にあるが、ここは、畿外、丹波国北桑田郡だった。2005年、いわゆる平成の市町村大合併の際、京都市編入され、ようやく「京都」になった。「京都市右京区京北」である。地元では長年の悲願だったと聞く。

 さてここで、京北を含む南丹(なんたん)地方の平成の自治体再編について考えてみたい。丹波国の南部だから南丹、あるいは、京都の街から見て、丹波国の手前側だから口丹(くちたん)とも呼ばれる地方は、京都府の行政上は、亀岡市・旧船井郡・旧北桑田郡で構成される。このうち平成期に再編されたのは船井郡北桑田郡である。

 まず、自治体合併が遡上に上がり始めた時は、船井・北桑田両郡8町全体でひとつの市となる話だった。ここから、いち早く離脱したのが京北町で、京都市への編入合併に動いていった。さらに、丹波町が、新しい市の中心となる園部の軍門に下ることをよしとせず、瑞穂・和知町を引き連れて「京丹波町」となる道を選んだ。残りの部分が「南丹市」になった。当初の構想からは随分と小さくなったが、それでも広大な面積だ。旧美山町は他の南丹市域と地理的に隔絶し、社会経済的にもつながりが弱いという課題もある。

 南丹地方がひとつになり切れなかったのも無理はない。そもそも、ひとつの自治体になるには面積が広すぎる。全域が山間地で交通網は緻密でない。船井郡北桑田郡それぞれに京都市内に通じる南北方向の交通が軸で、両郡を結ぶ東西方向の交通は貧弱、両郡のつながりは強くない。中心となるべき園部は小さな町で、船井郡内でさえ全域に及ぶような影響力を持たない。

 自治体の再編に合わせて変わったものがいくつかある。警察署の管轄区域はそのひとつだ。再編前は、船井郡を園部署が、北桑田郡を京北署が管轄した。京北町京都市右京区に入ったのを受けて、旧京北町域は、京都市内にある右京署の区域に組み入れられ、京北署は廃止された。残りの南丹市京丹波町は、園部署から名を変えた南丹署の管轄になった。南丹署、右京署とも管轄区域が大きく拡大した。地域の安全・治安を守る機関だから、いささか不安になることだ。

 気象予報の地域区分も変わった。京都府の気象予報区は、日本海側の「北部」と京都市などの「南部」に大きく分かれている。自治体再編前は、和知町美山町は北部、あとは全て南部だった。和知・美山町は、冬季の降雪が比較的多く、日本海側気候的だから、予報区は北部に属した。自治体合併により、和知町京丹波町に、美山町南丹市にと、それぞれ気象予報区の南部に中心がある自治体の一部となったため、予報区が南部に変更となった。気象という自然現象は変わらないはずなのに、聞くべき気象予報はある日から変わってしまった。不可解現象である。

 いろいろと課題・問題ありの平成の自治体再編だったが、最大の目的は、人口規模の大きい自治体となって財政基盤を強化することだったと思う。合併で一旦は拡大した人口規模も、その後続く人口減少で、元の木阿弥となりかねない状況だ。やがて、また合併再編になる時が来るのではないか。