地理学徒の語り

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静岡 - 製茶の街

 静岡市街の繁華街の北西隣に茶町という一角がある。賑やかな呉服町などから数百mの距離だが、静かな街を歩くと、茶葉の香りが漂うのを感じる。街のそこかしこにある茶問屋や製茶工場から醸し出る匂いだ。県内各産地の茶葉がこの街に集まる。徳川家康は、将軍職を退いた後、当時、駿府と呼ばれた静岡の街に隠居した。家康が、茶を扱う商人を城下町の一角に集めたのが、茶町の起源とされる。

「茶町」の由来などを記した碑

 茶を好んだ家康は、現在の静岡市最北部の山間地の茶を、現地の蔵で半年熟成させた上で、毎年献上させた。この史実を再現する行事が毎年行われているようだ。現在、この急峻な山地一帯は「本山茶」という有名な茶産地である。

静岡市北部「本山茶」の茶畑

 静岡での茶の始まりは、13世紀、現在の静岡市山間部出身の高僧・聖一国師が、中国から持ち帰った茶を、出身地近くの足久保という山村に植えたのが最初といわれる。現在の足久保には山の斜面に茶の段々畑が広がる。

茶町の聖一国師の碑

足久保にある静岡茶発祥地の碑

足久保の茶畑

 江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の隠居地も静岡だった。慶喜の従臣の一人・多田元吉が、明治維新で失業した後に、インドや中国の紅茶産地を調査して、静岡市内の丸子(東海道の旧宿場)に拓いた茶畑で紅茶用の品種を育てた。故に丸子は日本紅茶の発祥地とされる。(ちなみに、今や県内最大の茶産地となっている牧之原も、慶喜の元従臣たちが食い扶持を得るために開拓したものだ。)

丸子にある日本紅茶発祥地の碑

 明治時代、当時は行われていなかった茶の品種改良に取り組んだ静岡市出身者がいた。試行錯誤の末、「やぶきた」という栽培しやすく、味もよい品種を開発した。「やぶきた」は、現在、日本産の茶の7割以上を占めるとのこと。

「やぶきた」の原樹(県立美術館付近)

「やぶきた」の展示圃(県立美術館付近)

 明治開国後の日本にとって、茶は主要な輸出品となった。茶葉の集まる茶町には、茶の輸出に関わる外国商社が立ち並んだ。市内の海辺に当時の商社員の邸宅が残されている。

静岡市内の海辺に残るマッケンジー

 茶の積み出しは、最初は横浜港だったが、やがて近隣の清水港(現在は合併により静岡市内)から行われるようになった。後に重要港湾に発展した清水港の近代港としての端緒は、茶の積出港だった。輸出用の茶箱に描かれた商標の意匠は「蘭字」と呼ばれるもので、歴史的、芸術的価値が高い。

輸出用茶葉の容器に施された意匠「蘭字」
(清水港湾博物館の展示)

現在の清水港

 輸出する茶葉の輸送のために茶町と清水港を繋ぐ鉄道が敷かれた。茶町を貫く茶町通りを、かつて鉄道が通った。現在、静岡市中心部と清水地区を結んでいる私鉄・静岡鉄道は、この茶葉輸送鉄道を起源とするものだ。

茶町のこの辺りに駅があったらしい。

静岡鉄道

清水港の再開発商業施設
この辺りまで鉄道が通じていた。

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