地理学徒の語り

Geographer's Tweet

大阪大学のキャンパス - 豊中・吹田

 大阪大学の発祥の地・中之島キャンパスについては以前に触れた。今回は現行の二つのキャンパスを取り上げる。

豊中キャンパス

通称:阪大坂
構内に入っても校舎群まで坂を登る。

阪急石橋阪大前駅

 都心・梅田から電車で30分足らずの大阪郊外、主に文系学部と理学部、基礎工学部などのキャンパスとなっている豊中キャンパスは、元は大阪医大附属病院分院そして旧制浪速高等学校があったが、その開設以前は待兼山(まちかねやま)という丘陵地で山林だった。今も残る旧制浪速高等学校の校舎が「大阪大学会館」として象徴的な校舎となっている他、病院分院の建物は「総合学術博物館」になり、記念庭園の「浪高庭園」もあって、キャンパスの歴史が大切にされている。

大阪大学会館

総合学術博物館

浪高庭園

 豊中市から北隣の池田市にかけての一帯は、東側に待兼山のような丘陵が連なり、西側は猪名川沿いの低地になっている。低地を見下ろす丘陵の裾には、古墳がいくつも並んでいる。豊中キャンパス内にも古墳が4つもある他、工事の度に古代の遺物が出土している。発掘された出土品は総合学術博物館で見ることができる。

待兼山5号墳
発掘地は駐輪場になっている。

 旧制浪速高等学校の校地だけでは足りないから、待兼山を開削して豊中キャンパスはどんどん拡張された。1964年、校舎建設工事中に古代ワニの化石が発見され、このワニの新種はマチカネワニ命名された。発見された化石の実物は同じく総合学術博物館に展示されている。大学や豊中市のマスコットがワニなのも、この発見化石に由来する。

マチカネワニ化石レプリカ
(総合学術博物館展示。実物は撮影禁止だった。)

豊中市のマンホール蓋
(総合学術博物館展示)

 吹田市千里丘陵にあるのが吹田キャンパスだ。1968年の工学部の移転を皮切りに、次々と学部や機関が移転して来て、1980年には大学本部も中之島から移転している。1993年の医学部と同附属病院の移転でひとまず落ち着いたが、約100万㎡の広大な敷地は、まだ空地があって、将来の増設が可能だ。(東大本郷56㎡、京大吉田75㎡)

吹田キャンパス正門

大学本部事務棟

医学部

医学部附属病院

 吹田キャンパスが開設された頃の千里丘陵は、開発の真っ只中。山林が切り開かれ、住宅団地が次々と建設されていった。1970年にはキャンパスの隣接地(現万博記念公園)で大阪万博が開かれ、開発は頂点に。都心への鉄道も整備された大住宅団地に変貌した。しかしながら吹田キャンパスには至近に鉄道がなく、長らく交通不便だったが、1998年に大阪モノレールの支線が開業してかなり改善している。

大阪モノレール阪大病院前駅

 帝大としては後発ながら、東大・京大に次ぐ水準の学術的成果を誇る大阪大学。郊外の広大なキャンパスに新しい施設を次々と建設することができた環境が、大学の発展に寄与したことは間違いないだろう。

(なお、大阪大学にはもう一つ箕面キャンパスがあるが、これは2007年に法人合併で統合した旧大阪外国語大学の流れを汲む外国語学部のキャンパスである。今回は触れない。)

INDEXページへ