地理学徒の語り

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向日市(京都府)

 京都市の隣に、というか三方を京都市に取り囲まれるようにして、向日(むこう)市がある。人口約5万人余り、面積8平方kmに満たないミニサイズの市だ。元々は向日町(むこうまち)といった。京都の街から見て、桂川の向こう側にある街だから「むこうまち」。1972年の市制施行の際に「向日町市」とはならず「向日市」となった。阪急沿線の閑静な住宅地のイメージのこの街の、かつての姿を探ってみた。

 向日町を生み出したのは西国街道である。京の都から山陽方面に向かう街道沿いに形成されたのが向日町で、乙訓郡(現在の向日市長岡京市大山崎町、さらに京都市の一部で向日市に隣接する地域を含む。)の中心的な町場だった。

 この西国街道JR東海道線が交差する所にあるJR向日町駅から街歩き開始する。駅名は「向日町」である。この駅に続いて広大な車両基地があるが、ここも国鉄時代は「向日町」運転所といった。この他、郵便局、警察署など、元来の街の名前である「向日町」を使っている施設が結構ある。閑静な住宅地に似つかわしくないが、何故かこの街にある競輪場も「向日町」競輪場だ。

JR向日町駅

向日町運転所(旧称)

向日町競輪場

 駅から南西方向に街道は伸びている。2kmほど行った辺りで街道は少し高い所に登る。この高台の街道沿いが元来の向日町だ。ここに向日神社がある。街道からさらに高くなった所に神社は鎮座している。ここからは、京都・大阪府境の天王山の麓まで続く旧乙訓郡の街並みを一望できる。

元来の向日町の現在

向日神社

向日神社から南方。手前から向日市長岡京市大山崎町の市街が続く。奥に天王山、その左に男山。二つの山の間が三川合流の地

 

 さらに街道を進んで阪急の西向日駅までやって来た。この近くに、かつての都の跡がある。長岡京といって、平城京の後、平安京へ遷都する前に、10年ほどだけ都だった所だ。この辺りにあったのは、長岡京の中核・内裏で、正殿の大極殿や政務所の朝堂院などの跡が公園として整備されている。

大極殿

小安殿跡

朝堂院跡

 推定されるところでは、長岡京都城の範囲は、長岡京市大山崎町も含む旧乙訓郡の広い範囲に及ぶ。しかし、わずか10年では、実際に建造されたのは中核部のみで、周辺部は計画のみだったんじゃないかと私は想像する。この旧乙訓郡域が市街で埋まったのは高度成長期の宅地化によってが最初のはずだ。