岡山県の北部の地域は、かつて美作国だった。中国山地の直中にあり、海に面していない内陸の山国である。そんな美作国の中央部には比較的大きめの盆地が開けていて、美作国が設置された古代から、この盆地が国の中心だった。国府や国分寺、総社など古代の国の中枢施設が盆地の中の少し高い(洪水の心配がない)所に置かれていた。








この盆地は現代では津山盆地と名付けられている。美作地方の現代の中心都市・津山があるからだ。津山の街は、江戸時代初期に立藩した津山藩の城下町が起源。津山城趾は、丘と呼ぶべきか、山というべきか、その中間ぐらいの高地に展開している。立藩当初18万石、その後は10万石以下の石高の藩の城郭にしては、かなり大規模に思う。城下町から天守台のある最上段まで、かなり高低差のある城郭だが、ここに築かれた石垣が壮観。三段ほどの石垣の各段それぞれが高い。






城から数百m離れた城下にある。
残念ながら天守閣は残っていないが、天守台のある城郭の最上段まで登ると、津山の街が一望でき、さらに市街の外側には、360度、盆地を取り囲む山々の稜線が取り巻いている様子を目にできる。四方の山々は、それほど高いとは感じられない。これらの山々の稜線の所々低くなった部分が、盆地の外と繋がる交通路として古来から利用されてきたことまで想像できる。実際、津山の街は、これら交通路の結節点として発達したところが大きい。


まず、出雲街道。畿内・上方から来る街道は、津山盆地の東側から入って、津山の城下町に至る。この街道に沿って続く城東地区の街並みは、古い商家がよく残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。出雲街道は、城下町を貫いて、西方彼方の出雲大社を目指すが、城下町の西側・城西地区の街道沿いも重要伝統的建造物群保存地区である。








南方はといえば、県都の岡山方面へと続く交通路。かつては津山往来という街道で、現代は国道53号線。この方面へは水運もあった。津山盆地から流れ出て瀬戸内海へ下る吉井川の流れである。城下町の川辺に湊があって、浅瀬でも航行可能な高瀬舟が通じていた。



北側は、瀬戸内海側と日本海側を分ける中央分水嶺を越える交通路になる。県境を越えて今の鳥取県へ向かう道である。北東へは鳥取県都の鳥取市に通じる因幡道(現国道53号)。北西へは鳥取県中部の倉吉に向かう倉吉往来(現国道179号)。この街道が、県境でもある中央分水嶺を越える箇所の峠は津山市外になるが、人形峠という。我が国では希少なウラン鉱で有名な所。その博物館施設が峠にあるので訪れようとしたが、時期が悪かった。2月下旬、施設に続く峠の旧道は積雪で閉ざされていて通行不能だった。




津山は、道路だけでなく、四方に続く鉄路の結節点ともなっている。出雲街道とほぼ同じルートの鉄道は姫新線。東方、兵庫県の姫路から来て、西側の岡山県内の新見へと向かう路線だ。南へは県都の岡山市と繋がる津山線。日本海側へは因美線が鳥取市に通じている。JR 津山駅は、駅舎こそ小さいが、結節点だけに、多くの滞留線があって構内は広い。その構内の外れには、蒸気機関車時代から使われてきた貴重な扇形車庫と転車台が残っていて、今は展示施設となって、多くの人を引き付けている。


