地理学徒の語り

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京都・大枝と大原野の秋

 京都市の周辺部には俗に「京の田舎」と言われる、旧来の農村の風情が残る里がある。京都市街を出て西方、京都盆地が終わる西山の麓に広がる大枝大原野の地も、かつての村の残照を感じることができる土地である。そんな大枝大原野の秋の風景を巡ってみた。

 大枝(おおえ)は、かつて山陰街道が通う村だった。京の都を出た街道は、現在の亀岡市との境界である老の坂峠を越えて、丹波国へと通じていたわけだが、その峠の登り口に大枝はあたる。旧街道には往時の風情はほとんど見当たらないが、旧街道沿いにある神社では静かな秋を見つけることができた。

かつて大枝村役場があった辺りの旧山陰街道(大枝小学校前)

旧街道沿いの児子(ちご)神社

 大枝と言えば、知る人ぞ知るの感があるが、「柿の里」である。1930年頃に他県から柿が導入されて以来、産地として発展したそうだ。現代の山陰街道である国道9号沿いが市街化する以前の1970年代までは、柿の時期になれば沿道に露店が建ち並んでいた。今は集落の中の道沿いの家々の軒先に「直売所」が出て、「柿街道」と言われている。柿畑は、主に集落の西側、西山の麓の傾斜地に広がっている。実りのこの時期、柿の実と葉、そして山の樹々と相まって、一面が橙色の世界となる。

通称「柿街道」

西山山麓の柿畑

柿畑越しに東を望む。東山連峰が望める。

  その大枝と、境谷(さかいだに。大枝大原野の境の谷の意味と推測する。)を挟んで南に位置する大原野(おおはらの。三千院などが有名な京の田舎・大原ではない。)山麓の傾斜地に集落が点在する農村地帯だったわけだが、今も所々に原風景を見てとれる。地元有志が話題作りのために遅く咲かせた向日葵が秋の田園風景とのコントラストを楽しませてくれる。

季節外れの向日葵畑。
後方の西山連峰の最も低い所(中央奥)が老ノ坂峠

 大原野で最も由緒ある神社といえば、その名も大原野神社。集落のすぐ側、小塩山という小山に鎮座する。大原野のすぐ南、現在の向日市長岡京市域に奈良から都が移された784年、都(長岡京)の守護として、奈良の春日大社が分社されたのが起源とされる。社殿は春日大社に似ているし、同じく鹿がシンボル。猿沢池を模したと言われる鯉沢池もある。紫式部氏神として崇めたとも伝わる。この時期、境内の紅葉は見事である。

以上、大原野神社

大原野神社の隣、正法寺

 大原野地区でもう一つ触れなくてはならない社寺が、善峯寺。山号はまさに西山。京都市域の最も西、標高約300mの山腹に多くの堂宇が建つ山寺である。春は桜、夏は紫陽花など一年を通して花の寺だが、高所ならではの眺望が素晴らしい。眼下彼方に京都市街、その向こうの比叡山大文字山など東山連峰が霞んで見える。しかし秋のこの時期、この素晴らしい眺望よりも、境内外の随所の紅葉に目を奪われる。長さ40mに及ぶ天然記念物「遊龍の松」も影が薄くなる。

     

以上、善峯寺

 さて、有史以来の農村だった大枝大原野の地を一変させたのが洛西ニュータウンの開発だった。大枝大原野の集落がある山麓の緩い傾斜地から小畑川の河谷へ続く急傾斜地は竹林が覆っていた。この急傾斜の竹林と河谷を造成して、高層集合住宅や戸建て住宅が建てられたのが1975~85年頃のこと。最盛期には人口3万5千を超えたが、今はニュータウンの例に漏れず、高齢化した「オールドタウン」となっている。緑が多く取り入れられた設計だったため、秋の季節も感じられる。

以上、洛西ニュータウン

 もう一つが、桂坂ニュータウン。1985年から2000年代にかけて、大枝地区の北側の山の斜面を造成して開発された。開発以前の地形図を見れば、よくぞこんな所にというような山地である。こちらは比較的高級住宅街。大枝大原野のみならず、西京区のイメージをも変えるインパクトがあった。この時期、街区に続く街路樹が秋色に染まる。

以上、桂坂ニュータウン

 最後に、この地域の行政区域について触れておこう。大枝大原野は、いにしえより、向日市長岡京市、そして天王山のある大山崎町などと同じ乙訓郡(おとくに)に属していた。それが1950年代に京都市西京区(当時は右京区)に編入されたものである。したがって、西京区の中心である東方の桂(かつら)との結びつきとともに、南方の旧乙訓郡との繋がりも今だ深い。

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