地理学徒の語り

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万博 ー EXPO '70大阪万博跡地を行く

 大阪・関西万博が開幕した。開幕から約2週間が経過したが、私はまだ行っていない。そのうち行こう。今回は、少しひねくれ根性もあって、過去の大阪の万博跡地の今をレポートする。

EXPO'70大阪万博の公式ポスター
(EXPO'70パビリオンの展示)

 1970年の大阪万博は、今回の万博との絡みで、過去の万博としてテレビや新聞などで取り上げられることがよくあり、再び人々の耳目に触れる機会が増えている。日本初開催であったこの万博は、大阪の北郊、千里丘陵が会場だった。山林が覆う丘陵地は、1960年代の高度成長期に切り開かれ、交通が整備されて、千里ニュータウンはじめ住宅団地の開発が進んだ。万博開催は千里開発のハイライトでもあった。現在、会場跡地は広大な万博記念公園になっている。

'70大阪万博の入場者数など
(EXPO'70パビリオンの展示)

万博記念公園中央口付近の案内板

万博当時と変わらない池とオブジェ

 記念公園内で当時を偲ぶものといえば、まず何と言っても、太陽の塔だ。万博当時と同じく、中央口を入ってすぐ目の前に聳えるシンボル。園外からも見えるランドマークでもある。近年、塔の内部が再び公開されるようになったが、私が訪れた時は予約者のみの入場で、入れず残念。

 

テレビなどでは滅多に見られない背面

夜景はこんな感じ

 現在、太陽の塔の周囲は広い空間が広がっているが、万博中は、塔の肩ぐらいの高さの位置に大屋根が四方にあった。その大屋根の骨組みのごく一部がイベント広場の一角に残されている。

万博期間中は、塔の周囲に大屋根があった。
(EXPO'70パビリオンの展示)

大屋根の一部が残されている。

 月の石を展示したアメリカ館が一番の見ものだったのは有名だが、当時の会場を再現した模型をみると、色とりどりで様々な形の外国や企業のパビリオンが会場一杯に建ち並んでいた様子がわかる。中でもアメリカ館とソ連館がひときわ大きく目を引き、対角に対峙していて、まるで当時の冷戦構造を表しているかのようだ。園内には、当時パビリオンが建っていた場所の表示がいくつかある。

海外パビリオンの写真
(EXPO'70パビリオンの展示)

万博会場の復元模型(EXPO'70パビリオンの展示)
右端の赤の尖塔がソ連館、その対角・左の白の楕円の屋根がアメリカ館

ソ連館のあった場所
森林になっている。

中華民国館のあった場所
万博当時、中華人民共和国とは国交がなかった。

 「EXPO'70パビリオン」という施設があって、ここで1970大阪万博について学ぶことができる。この万博に関心のある方は必見。500円の入場料は展示内容に比して安いと思う。この建物自体が、日本鉄鋼連盟が出展した鉄鋼館という万博当時のパビリオンである。

EXPO'70パビリオン(元「鉄鋼館」)

 

万博時の「鉄鋼館」内部が保存展示されている。
(EXPO'70パビリオンの展示)

万博スタッフのコスチューム
(EXPO'70パビリオンの展示)

万博時の太陽の塔の顔(EXPO'70パビリオンの展示)
1990年に老朽化のため取り替えられた。

 いくつものパビリオンが建っていた場所に、今は国立民族学博物館の巨大な建物が建っている。国際交流の場でもあった万博の跡地にふさわしい施設だ。

国立民族学博物館

 万博開催中、会場に隣接して「エキスポランド」という遊園地が併設され、子どもたちに人気だった。万博終了後も遊園地は残り、2009年まで営業していたが、今は複合商業施設「EXPOCITY」になり若い人達で賑わっている。太陽の塔をも見下ろす巨大観覧車「OSAKA WHEEL」がシンボルだ。

EXPOCITY

OSAKA WHEEL

「OSAKA WHEEL」からの眺望
太陽の塔のすぐ後方は国立民族学博物館
その後方の園外の建物群は大阪大学吹田キャンパス

 記念公園のすぐ側には、万博以降に建設された大阪モノレール中国自動車道が並行して通っている。高架を行くモノレール(意外に速い)と高速で流れて行く車列の眺めは、万博当時に想像された近未来の景観に近いのではなかろうか。

大阪モノレール中国自動車道

同上

同上

大阪で開かれた、もうひとつの万博については、こちら

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